沖縄の酔雲庵の掲示板

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謹賀新年 - 庵主の酔雲

2022/01/01 (Sat) 10:15:08

今年もよろしくお願いいたします。

はじめまして - Ryuji  URL

2021/09/30 (Thu) 20:30:18

かねてから、古琉球を舞台にした本格的な歴史小説があったら読んでみたいと思っていたところ、こちらにたどりつきました。これからは時折、寄らせていただこうと思います。

Re: はじめまして - 庵主の酔雲

2021/10/01 (Fri) 08:09:26

ありがとうございます。
長い物語ですが、お楽しみ下さい。

懐機について 古後信二

2021/07/11 (Sun) 16:49:11

懐機に興味があります。懐機の略歴を見ましたが、彼は晩年、どのような最期になる設定でしょうか。

Re: 懐機について - 庵主の酔雲

2021/07/12 (Mon) 10:39:57

古後信二様、コメントありがとうございます。

尚巴志の軍師として今帰仁グスクを攻め落とした二年後、懐機は使者として明国に行きます。帰国後、首里グスク周辺の庭園を整備します。
尚巴志の死後、尚金福が中山王の時、長虹堤を築きます。
尚金福の死後、志魯と布里の乱が起きて首里グスクは炎上して、尚泰久が中山王になりますが、その頃、亡くなったものと思われます。

大里村稲福の壕の件 南埜安男

2016/02/04 (Thu) 22:30:59

突然スミマセン❗私は沖縄で遺骨収集している南埜安男(ミナミノ)と申します。以前大里村稲福の壕で銀縁眼鏡に赤の塗装を発見し、ひめゆり・白梅学徒同窓会等に赤い眼鏡の生徒が居なかったか問い合わせしましたが、対象者が見つからない状態です。メールで赤十字・助産婦会にも問い合わせしましたが、返事をいただけていません。出来たら、遺族に眼鏡を返したいと考えています。情報有りましたら、よろしくお願いいたします。

Re: 大里村稲福の壕の件 - 庵主の酔雲

2016/02/05 (Fri) 08:42:38

南埜安男様、コメントありがとうございます。
小説を書いた当時の資料を調べてみましたが、白梅学徒隊で眼鏡をかけていた生徒は見当たりませんでした。
ひめゆり学徒隊で一人見つかりました。
嘉数ヤスさん、18歳で、那覇市出身の本科一年生でした。南風原の陸軍病院第一外科に勤務して、南部撤退後、5月4日に伊原の陸軍病院第一外科壕で亡くなっています。
場所からして違うと思いますが、他には見つかりませんでした。
役に立たなくて申しわけありません。

Re: Re: 大里村稲福の壕の件 南埜安男

2016/02/16 (Tue) 13:39:31

返信ありがとうございます。返信の確認を怠ってました。私では何の役にならないとは存じますが、メールアドレスarashi80jp@yahoo.co.jpです。何か有れば、よろしくお願いいたします。

比嘉鈴子様の件 sivbikku

2015/01/19 (Mon) 14:16:39

2014,12,28北海道新聞社朝刊を拾い読みしていたところ、戦後70年と北の兵士の特集を組んであり比嘉鈴子さんの人柄が述べられていました。
負傷して24師団本部壕で白梅の学徒さんが食事や大小便の始末の合間に包帯を外し、患部にわいたウジを払い落としてくれた。
中でも比嘉鈴子と名乗る女学生に世話になり、両手が使えない家寿男さんの口にご飯を入れてくれた。
一緒に運ばれた部下2名は相次いで死んだ。
傷口がガス壊疽になり、みるみるやせ細っていた一人は死に目に会えず、悔やまれた。
比嘉さんが涙を流す姿に、「ありがとう」としか言えなかった。
1945,6,4には米軍が近くに迫り病院が解散を命じられた際の記述では「何人か壕に残ってかねて聞いていた薬を渡されるのだろう。おそらく、薬を渡す役目は比嘉さんたち女学生だろう。
患者もかわいそうだが、彼女たちの方がよりかわいそうだ。何と言って渡すのだろう。とても見ていられない。」2箇所あった分院では青酸カリで自決したり、銃殺されました。目撃した白梅の学徒さんたちの心の傷は言葉に出来ないものだったでしょう。
23歳の陸軍少尉が記した日記には地獄の戦場で命懸けで看護する白梅の学徒さんの姿が映されていました。
沖縄を訪問し、慰霊すると必ず涙が零れます。
永遠の記憶として語り継いで欲しいものです。

Re: 比嘉鈴子様の件 - 庵主の酔雲

2015/01/20 (Tue) 06:56:18

sivbikku様、コメントありがとうございます。

比嘉鈴子さんは、「チーコの青春」では鈴代の名前で登場しています。

オバマ大統領の誕生日は太平洋戦争を記念 - ねこ

2014/06/18 (Wed) 11:04:03

オバマ大統領の誕生日は太平洋戦争を記念

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p044.html#page294

http://book.geocities.jp/conspiracycalendar/02/d/08/0804.html#1961

その誕生日は、ミッドウェー海戦の7000周日記念日、

そして、沖縄戦終結の16周年記念日だった。

( http://park.geocities.jp/j_con4/0104/p048.html )

謹賀新年 - 庵主の酔雲

2014/01/01 (Wed) 08:40:13

新年、おめでとうございます。
今年も「沖縄の酔雲庵」をよろしくお願いいたします。

Re: 謹賀新年 くぐしく じゅうじん URL

2014/02/21 (Fri) 16:27:20

26年2月21日 旧正1月22日にしてのご挨拶とは これ如何にと
はじらいながらのメールです。

いつまでたっても 反省のない諸々の状態も…これ如何にと
昨今の情勢ですが 庵主さまますます ご快調の様子お喜びを申し上げます。

 小生昨夏以来病院そして養老施設と移動 やっとパソコンを触れるようになりました。
 これからもよろしくお願いいたします。
 PC環境いろいろありまして アドレス変更しました。

Re: 謹賀新年 - 庵主の酔雲

2014/02/22 (Sat) 08:06:19

くぐしく じゅうしん様、ありがとうございます。
お体に気を付けて下さい。

「尚巴志伝」を書き始めました。
調べながら書いていますが難しいです。

こちらこそ、よろしくお願いいたします。

無題 kojyou

2013/07/14 (Sun) 02:28:13

チー子さんと同年齢の先輩は昭和16年二高女に,私たちは昭和18年二中に進学昭和20年沖縄戦で戦死
知るのが おそかった - こじょう じゅうじん
2009/10/11 (Sun) 01:52:41
十十空襲について 沖縄は今?と検索していたら
⇒65年前の沖縄を旅してみませんか⇒沖縄二高女看護隊 チーコの青春 に辿りついたのが・・・・・・・・・に始まり いろいろと本掲示板で  小説の舞台になる 第二高等女学校周辺での私的経験<松山小=国民学校、沖繩二中在学当時>を述べさせていただいてきました。
以来 私の書き込みが“場”を占領したみたいで 引け際を考えていたところです。
2013年6月23日をもってわたしの投稿を抹消させていただき この小説の本来的な書き込みへの発展をお祈りします。

本文中の波の上宮⇒旭ヶ丘公園は06年久しぶりに散策しました。
このあたりから海を眺めながら二年先輩の方と友人O君と三人で将来を語っていました。旭丘公園



チー子さんと同年齢の先輩は昭和16年二高女に,私たちは昭和18年二中に進学
O君は昭和20年沖縄戦で戦死 このことは 松山小学校同窓会誌最終号に詳述

Re: 無題 - 庵主の酔雲

2013/07/15 (Mon) 13:54:28

湖城重仁様、ありがとうございます。
長い間、コメントをしていただき、本当に感謝しております。
月日の経つのは速いもので、「チーコの青春」を書いてからもう十年が過ぎました。何人の人がこの小説を読んでくれたのかわかりませんが、この小説によって、「戦争」というものを考えてくれればいいと思っております。

昭和二十年二月 チーコさんは 湖城 重仁

2012/02/19 (Sun) 22:55:16

またまた 基地問題 が・・・・・・
新年の挨拶どころではなさそうです。尚巴志のことなどご多忙のことと存じます。
掲示板では 自分の書いたところボツボツ整理をと思いつつ、いつものながながと書き込みになりました。ほぼ 同時代のものとしての発言をお許しください。
チ―コの青春日記より~ 2月6日・⇒・・・そして、2月5日から看護教育が始まりました。男子中学生たちは立派な兵隊になるために通信訓練や戦闘訓練を始めていて、女学生も立派な看護婦になって、お国の役に立たなければならないというわけです~
2月8日・⇒…その日は大詔奉戴日でした。看護教育が始まる前に、新しく校舎になった知事官舎の庭で式典が行なわれました。~…いつものように式典が続いて、みんなで「海ゆかば」を歌いました。

昭和20年2月の出来事として 関連「年表」様式にまとめられています。
2月1日・・以下抜書き
2月3日、沖縄県下の学徒動員が強化され、通信・観測・看護婦などの特別訓練が実施。
2月3日、米軍、マニラ市内に侵攻する。
2月4日、2月7日、2月7日、沖縄県、平時行政から戦時行政へ切り換える。
2月10日、・・・・・・第32軍の木村参謀が米機動部隊の沖縄来攻見通しについて公式に発表
2月10日、沖縄県中南部住民の北部疎開計画決定。2月11日、2月11日、米・英・ソ、ヤルタ協定成立。ソ連、対日参戦を決定。
2月19日、沖縄県下男女中等学校単位の防衛隊の結成が始まる。

何回読んでも これまで知らなかったことが増してきます。単なる小説を超え 残されてよいものです。また{出来事}として あらゆる分野から構成されていることに 敬意。
目立った政治、運動といったものでなく 当時の少年少女・・・登場人物には適切な註(?)をつけないと理解できそうもない。あまりにも いまの少年少女の発想や行動と重ねることはできないようにも思っています。
ここに引用した最後の<みんなで「海ゆかば」を歌いました。>こそ ですね。
そのころ彼女たちは バレンタインディなんて・・・・・・考えると・・・・平和・・・・ってと 考えが・・・・・まとまらないですね。1945年2月⇒2012年2月19日

Re: 昭和二十年二月 チーコさんは - 庵主の酔雲

2012/02/20 (Mon) 09:33:29

湖城重仁様、ありがとうございます。

年が明けて、二月の半ばを過ぎました。
あっという間に月日が過ぎてしまいます。
沖縄の歴史を調べていますが、思っていた以上に難しいです。薩摩が攻めて来る以前の古琉球の資料が少なく、真実を探し出すのが大変ですが、沖縄の人たちが夢を持って生き生きとしていた時代を書きたいと思っています。

沖縄の基地問題などのニュースを聞きながら - 湖城 重仁

2011/12/19 (Mon) 15:31:55

早いもので 年末です。お元気ですか。

その後の書き込みがないのが やはり 私のような年齢のものが 物知り顔で投稿をしていたこと 気にしています。

これまでの要約をして 大部分を削除しようと思っていました。そうすれば 後の人たちが書きやすいのかと思いつつ、また同時代の方々からのお話も伺いたいものと・・・・
 整理⇔簡約化に すこし時間を下さい。

実は 十二月八日ごろを目途にと 自分自身が混乱している状態です。12/8 の意味 8/15 そして長崎・広島・沖縄と現在までにも関連しているのに3/11に凝集されるなにもなかがわからないのです。<3てん11>以外はあまり世間に取り上げられぬ何かをですね。
これも戦争のようだ! 二、三の評論家の発言が新聞の片隅に見られましたが 即 “オキナワ”をと思いつつ 今日になりました。12/19(月)暦では“大安”ここで書かなければ来年になるぞといった心境です。

話題はそれますが 三島由紀夫が当時の防衛庁への事件が忘れられるころ 今度は防衛省幹部の認識不足からの発言<いったい“お国のために”とは と問われる昨今 これは右翼だの左翼というのでなく戦争体験者の実感といえましょう。

 この掲示板のこれからの発展 庵主様のますますの筆の冴えをお祈りします。

Re: 沖縄の基地問題などのニュースを聞きながら - 庵主の酔雲

2011/12/20 (Tue) 08:52:51

本当に月日の経つのが早いですねえ。
今年は色々な事が起こりましたが、もう年末になってしまいました。
私は今、沖縄の歴史の勉強をしています。沖縄戦が起きる以前の琉球王国の歴史です。沖縄が独立した王国として、盛んに海外貿易をしていた華々しい時代を小説にしたいと思っています。書き始めるのはまだまだ先の事になりますが、尚巴志王を書くつもりです。
 来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎え下さい。


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