沖縄の酔雲庵の掲示板

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日本の傀儡だったイランを代表する政治家 - うさぎ777

2016/09/01 (Thu) 19:15:24

日本の傀儡だったイランを代表する政治家

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p042.html#page278

第6代大統領アフマディーネジャードなどは、典型的だ。

( http://sky.geocities.jp/datepedia/02/update.html )

( http://park.geocities.jp/j_con4/0104/p044.html )

( 個人的意見 )

大里村稲福の壕の件 南埜安男

2016/02/04 (Thu) 22:30:59

突然スミマセン❗私は沖縄で遺骨収集している南埜安男(ミナミノ)と申します。以前大里村稲福の壕で銀縁眼鏡に赤の塗装を発見し、ひめゆり・白梅学徒同窓会等に赤い眼鏡の生徒が居なかったか問い合わせしましたが、対象者が見つからない状態です。メールで赤十字・助産婦会にも問い合わせしましたが、返事をいただけていません。出来たら、遺族に眼鏡を返したいと考えています。情報有りましたら、よろしくお願いいたします。

Re: 大里村稲福の壕の件 - 庵主の酔雲

2016/02/05 (Fri) 08:42:38

南埜安男様、コメントありがとうございます。
小説を書いた当時の資料を調べてみましたが、白梅学徒隊で眼鏡をかけていた生徒は見当たりませんでした。
ひめゆり学徒隊で一人見つかりました。
嘉数ヤスさん、18歳で、那覇市出身の本科一年生でした。南風原の陸軍病院第一外科に勤務して、南部撤退後、5月4日に伊原の陸軍病院第一外科壕で亡くなっています。
場所からして違うと思いますが、他には見つかりませんでした。
役に立たなくて申しわけありません。

(管理者の承認待ち)

2016/02/16 (Tue) 13:39:31

この投稿は管理者の承認待ちです

比嘉鈴子様の件 sivbikku

2015/01/19 (Mon) 14:16:39

2014,12,28北海道新聞社朝刊を拾い読みしていたところ、戦後70年と北の兵士の特集を組んであり比嘉鈴子さんの人柄が述べられていました。
負傷して24師団本部壕で白梅の学徒さんが食事や大小便の始末の合間に包帯を外し、患部にわいたウジを払い落としてくれた。
中でも比嘉鈴子と名乗る女学生に世話になり、両手が使えない家寿男さんの口にご飯を入れてくれた。
一緒に運ばれた部下2名は相次いで死んだ。
傷口がガス壊疽になり、みるみるやせ細っていた一人は死に目に会えず、悔やまれた。
比嘉さんが涙を流す姿に、「ありがとう」としか言えなかった。
1945,6,4には米軍が近くに迫り病院が解散を命じられた際の記述では「何人か壕に残ってかねて聞いていた薬を渡されるのだろう。おそらく、薬を渡す役目は比嘉さんたち女学生だろう。
患者もかわいそうだが、彼女たちの方がよりかわいそうだ。何と言って渡すのだろう。とても見ていられない。」2箇所あった分院では青酸カリで自決したり、銃殺されました。目撃した白梅の学徒さんたちの心の傷は言葉に出来ないものだったでしょう。
23歳の陸軍少尉が記した日記には地獄の戦場で命懸けで看護する白梅の学徒さんの姿が映されていました。
沖縄を訪問し、慰霊すると必ず涙が零れます。
永遠の記憶として語り継いで欲しいものです。

Re: 比嘉鈴子様の件 - 庵主の酔雲

2015/01/20 (Tue) 06:56:18

sivbikku様、コメントありがとうございます。

比嘉鈴子さんは、「チーコの青春」では鈴代の名前で登場しています。

オバマ大統領の誕生日は太平洋戦争を記念 - ねこ

2014/06/18 (Wed) 11:04:03

オバマ大統領の誕生日は太平洋戦争を記念

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p044.html#page294

http://book.geocities.jp/conspiracycalendar/02/d/08/0804.html#1961

その誕生日は、ミッドウェー海戦の7000周日記念日、

そして、沖縄戦終結の16周年記念日だった。

( http://park.geocities.jp/j_con4/0104/p048.html )

謹賀新年 - 庵主の酔雲

2014/01/01 (Wed) 08:40:13

新年、おめでとうございます。
今年も「沖縄の酔雲庵」をよろしくお願いいたします。

Re: 謹賀新年 くぐしく じゅうじん URL

2014/02/21 (Fri) 16:27:20

26年2月21日 旧正1月22日にしてのご挨拶とは これ如何にと
はじらいながらのメールです。

いつまでたっても 反省のない諸々の状態も…これ如何にと
昨今の情勢ですが 庵主さまますます ご快調の様子お喜びを申し上げます。

 小生昨夏以来病院そして養老施設と移動 やっとパソコンを触れるようになりました。
 これからもよろしくお願いいたします。
 PC環境いろいろありまして アドレス変更しました。

Re: 謹賀新年 - 庵主の酔雲

2014/02/22 (Sat) 08:06:19

くぐしく じゅうしん様、ありがとうございます。
お体に気を付けて下さい。

「尚巴志伝」を書き始めました。
調べながら書いていますが難しいです。

こちらこそ、よろしくお願いいたします。

無題 kojyou

2013/07/14 (Sun) 02:28:13

チー子さんと同年齢の先輩は昭和16年二高女に,私たちは昭和18年二中に進学昭和20年沖縄戦で戦死
知るのが おそかった - こじょう じゅうじん
2009/10/11 (Sun) 01:52:41
十十空襲について 沖縄は今?と検索していたら
⇒65年前の沖縄を旅してみませんか⇒沖縄二高女看護隊 チーコの青春 に辿りついたのが・・・・・・・・・に始まり いろいろと本掲示板で  小説の舞台になる 第二高等女学校周辺での私的経験<松山小=国民学校、沖繩二中在学当時>を述べさせていただいてきました。
以来 私の書き込みが“場”を占領したみたいで 引け際を考えていたところです。
2013年6月23日をもってわたしの投稿を抹消させていただき この小説の本来的な書き込みへの発展をお祈りします。

本文中の波の上宮⇒旭ヶ丘公園は06年久しぶりに散策しました。
このあたりから海を眺めながら二年先輩の方と友人O君と三人で将来を語っていました。旭丘公園



チー子さんと同年齢の先輩は昭和16年二高女に,私たちは昭和18年二中に進学
O君は昭和20年沖縄戦で戦死 このことは 松山小学校同窓会誌最終号に詳述

Re: 無題 - 庵主の酔雲

2013/07/15 (Mon) 13:54:28

湖城重仁様、ありがとうございます。
長い間、コメントをしていただき、本当に感謝しております。
月日の経つのは速いもので、「チーコの青春」を書いてからもう十年が過ぎました。何人の人がこの小説を読んでくれたのかわかりませんが、この小説によって、「戦争」というものを考えてくれればいいと思っております。

昭和二十年二月 チーコさんは 湖城 重仁

2012/02/19 (Sun) 22:55:16

またまた 基地問題 が・・・・・・
新年の挨拶どころではなさそうです。尚巴志のことなどご多忙のことと存じます。
掲示板では 自分の書いたところボツボツ整理をと思いつつ、いつものながながと書き込みになりました。ほぼ 同時代のものとしての発言をお許しください。
チ―コの青春日記より~ 2月6日・⇒・・・そして、2月5日から看護教育が始まりました。男子中学生たちは立派な兵隊になるために通信訓練や戦闘訓練を始めていて、女学生も立派な看護婦になって、お国の役に立たなければならないというわけです~
2月8日・⇒…その日は大詔奉戴日でした。看護教育が始まる前に、新しく校舎になった知事官舎の庭で式典が行なわれました。~…いつものように式典が続いて、みんなで「海ゆかば」を歌いました。

昭和20年2月の出来事として 関連「年表」様式にまとめられています。
2月1日・・以下抜書き
2月3日、沖縄県下の学徒動員が強化され、通信・観測・看護婦などの特別訓練が実施。
2月3日、米軍、マニラ市内に侵攻する。
2月4日、2月7日、2月7日、沖縄県、平時行政から戦時行政へ切り換える。
2月10日、・・・・・・第32軍の木村参謀が米機動部隊の沖縄来攻見通しについて公式に発表
2月10日、沖縄県中南部住民の北部疎開計画決定。2月11日、2月11日、米・英・ソ、ヤルタ協定成立。ソ連、対日参戦を決定。
2月19日、沖縄県下男女中等学校単位の防衛隊の結成が始まる。

何回読んでも これまで知らなかったことが増してきます。単なる小説を超え 残されてよいものです。また{出来事}として あらゆる分野から構成されていることに 敬意。
目立った政治、運動といったものでなく 当時の少年少女・・・登場人物には適切な註(?)をつけないと理解できそうもない。あまりにも いまの少年少女の発想や行動と重ねることはできないようにも思っています。
ここに引用した最後の<みんなで「海ゆかば」を歌いました。>こそ ですね。
そのころ彼女たちは バレンタインディなんて・・・・・・考えると・・・・平和・・・・ってと 考えが・・・・・まとまらないですね。1945年2月⇒2012年2月19日

Re: 昭和二十年二月 チーコさんは - 庵主の酔雲

2012/02/20 (Mon) 09:33:29

湖城重仁様、ありがとうございます。

年が明けて、二月の半ばを過ぎました。
あっという間に月日が過ぎてしまいます。
沖縄の歴史を調べていますが、思っていた以上に難しいです。薩摩が攻めて来る以前の古琉球の資料が少なく、真実を探し出すのが大変ですが、沖縄の人たちが夢を持って生き生きとしていた時代を書きたいと思っています。

沖縄の基地問題などのニュースを聞きながら - 湖城 重仁

2011/12/19 (Mon) 15:31:55

早いもので 年末です。お元気ですか。

その後の書き込みがないのが やはり 私のような年齢のものが 物知り顔で投稿をしていたこと 気にしています。

これまでの要約をして 大部分を削除しようと思っていました。そうすれば 後の人たちが書きやすいのかと思いつつ、また同時代の方々からのお話も伺いたいものと・・・・
 整理⇔簡約化に すこし時間を下さい。

実は 十二月八日ごろを目途にと 自分自身が混乱している状態です。12/8 の意味 8/15 そして長崎・広島・沖縄と現在までにも関連しているのに3/11に凝集されるなにもなかがわからないのです。<3てん11>以外はあまり世間に取り上げられぬ何かをですね。
これも戦争のようだ! 二、三の評論家の発言が新聞の片隅に見られましたが 即 “オキナワ”をと思いつつ 今日になりました。12/19(月)暦では“大安”ここで書かなければ来年になるぞといった心境です。

話題はそれますが 三島由紀夫が当時の防衛庁への事件が忘れられるころ 今度は防衛省幹部の認識不足からの発言<いったい“お国のために”とは と問われる昨今 これは右翼だの左翼というのでなく戦争体験者の実感といえましょう。

 この掲示板のこれからの発展 庵主様のますますの筆の冴えをお祈りします。

Re: 沖縄の基地問題などのニュースを聞きながら - 庵主の酔雲

2011/12/20 (Tue) 08:52:51

本当に月日の経つのが早いですねえ。
今年は色々な事が起こりましたが、もう年末になってしまいました。
私は今、沖縄の歴史の勉強をしています。沖縄戦が起きる以前の琉球王国の歴史です。沖縄が独立した王国として、盛んに海外貿易をしていた華々しい時代を小説にしたいと思っています。書き始めるのはまだまだ先の事になりますが、尚巴志王を書くつもりです。
 来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎え下さい。

ご返信謝々 湖城 重仁

2011/08/16 (Tue) 14:08:47

本土=他県での体験は“ウチナンチュゥ~”を必要以上に 意識させられました。
沖縄での教育からは まったく想像もできない→同じ天皇陛下の赤子だのに・・・・
私たちの親や先輩の世代では 沖縄の人は差別?を受けるのは当然と受け止めていたのでしょうが、私たちの世代の受けた教育ではまさに<一視同仁>が普通と教え込まれそのように考えていましたから・・・
チーコの人たちはある意味での理想化されたファミリ像と思います。一種の土着的な<学歴など関係がない>人たちが 沖縄戦にどうかかわってきたのかなど興味をもたれます。
郷愁というか限られた世代の体験的な投稿ですから まさに 独断と偏見といわれても仕方ないものです。

削除を遠慮なされるなら一応削除して それらをまとめますので庵主さまの資料集にでも加えていただければ 光栄、それならば もっと細かく書き残しておくつもりです。

またまた 他の投稿待機の方々の妨げをする結果となりました。
意のあるところをご斟酌いただき 失礼をご勘弁ください。
付記 添付写真 那覇市にあったわが祖先(元祖)の墓
復帰後都市計画で立ち退き・・遺骨をヤマトゥにお移ししたときに撮影 弾丸の痕が生々しく 時の移り変わりを感じさせます。

昭和19年(1944)疎開するとき 曾祖母の洗骨をしたのもここ
昭和51年(1976)戦後帰島して 祖父母の30年後の遺体を洗骨
したのもここです。この民間伝承もなくなりました。

Re: ご返信謝々 - 庵主の酔雲

2011/08/17 (Wed) 10:32:31

湖城重仁様、貴重な写真、どうもありがとうございます。

「チーコの青春」は当時のエリートと言える女学生から見た沖縄戦です。一般的な庶民の目から見れば、また違った沖縄戦になる事でしょう。様々な視点から沖縄戦を見つめる必要があると思います。

これからも当時の事を色々と教えて下さい。

日本での終戦記念日に 湖城 重仁

2011/08/15 (Mon) 22:40:32

昭和20年(1945)8月15日も暑い暑い日でした。この日 私は旧中学三年で 沖縄から山口県に疎開 現地の軍需工場に学徒動員で働いていました。 
昼休み事務所集合ラジオを聞くように指示 雑音ばかり聞き取れないから 本当に天皇陛下のお声なのかと話していましたら 職場長からどうも戦争が終わるらしいが君たちはいつものとおりに・・・と
夕刻 広場に集められ戦争は終わったと・・学徒は明日からこなくてよい!
全工場800人ほどの人たちに混じって私たちの班10名は口々に 沖縄の仇はだれがとるんだ!慟哭と言うのはこういうことかもしれないと今思う。
とにかく戦うんだ。日本のため 天皇陛下の御為に当時の中学生女学生に強弱はあれ若さ故の言動だったのかも

チーコの青春日記の登場する皆さんにたいして 俺は逃亡者なんだという自虐的な思いをいまもって持ち続けています。

せっかくの庵主さまの構想や趣旨に流れに 掉さす結果となっているようで
そこで これまでの私稿を削除すれば 投稿 書き込みと思われる方々が容易になるのではと・・・思っています。チーコさんのこともっと多くのひとによんでほしいなぁ~

無沙汰お詫びをかねて えらそうな物言いになりますが 最近TVで沖縄戦における中学生等のドキュメンタリー?ドラマが<実話をもとにしたドキュメントドラマ>がほうえいされています。
文字⇔映像の異質さに感じています。
 この青春日記についての庵主さまの取り組み方に関心を持つものとして この掲示板への参加者の増加を期待するものです。

Re: 日本での終戦記念日に - 庵主の酔雲

2011/08/16 (Tue) 09:37:53

湖城重仁様、投稿ありがとうございます。

学徒動員の事を書いていただき、ありがとうございます。私は当時の状況をもっと知らなければならないと思っております。色々とお教えください。

私としてももっと多くの人に読んでいただきたいと思っています。努力します。

これからも、よろしくお願いします。


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