沖縄の酔雲庵の掲示板
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昭和20年(1944)を昭和19年に訂正 - こじょう じゅうじん
2009/10/31 (Sat) 00:29:34
先週末来 PC と離れていました。はやばやのご返信ありがとうございます。
申し訳ありません。20行目ぐらいの個所に 誤りがありました。
⇒<昭和20年(1944)夏・・・略〜は 昭和19年でした 西暦は正しい>
以下 参考までにメ―ルの記述から↓↓
↓↓
・・・・・県庁横のやや急な道を通り 城岳の近くの二中に通学していました。中学二年 昭和20年(1944)夏 疎開船に乗った(乗せられた)ものです。・・・}}
なお 酔雲庵さま個人に関する推定は たいへん失礼なことだったかと
後段の⇒<・・・・・このチーコの青春日記は 失礼な推測をいたしますが、♪♪戦争を知らない〜団塊の世代の後期で群馬県の方なのでしょうか。・・・・・>>は 庵主さまのご判断で カットいただいても 添削いただければありがたいです。 吾がことを他人様に話すことの少なかったことが オーバーランさせたと原因と思って さらに反省 内容・プレビュー・確認が手ぬかりでした。
後段の⇒<・・・・・このチーコの青春日記は 失礼な推測をいたしますが、♪♪戦争を知らない〜団塊の世代の後期で群馬県の方なのでしょうか。・・・・・・>このセンテンスは 庵主さまのご判断で カットいただいても 添削下されればありがたいです。ご寛恕を!!
Re: 昭和20年(1944)を昭和19年に訂正 - 庵主の酔雲
2009/11/05 (Thu) 23:08:18
こじょう じゅうじん様、ご推測は正解です。
「沖縄の酔雲庵」の表紙に書いたように、40代半ばで初めて沖縄を訪れ、沖縄戦と出会いました。これは絶対に書かなければならないと思い、沖縄戦の資料を読み漁って「チーコの青春」を書き上げました。残念ながら本にする事が出来なかったので、ホームページで公開しました。できるだけ多くの人が読んでくれる事を願っています。もし、間違った記述がありましたら、ご指摘ください。訂正いたします。
添削する必要はないと思いますので、そのままにしておきます。ありがとうございます。
Re: 知るのが おそかった - 庵主の酔雲 - こじょう じゅうじん
2009/10/24 (Sat) 22:47:24
ご返信 ありがとうございました。万感 積もりながら 次のような感想をお届けします。時代錯誤の 独断と偏見などと ご批判もありましょうが ご覧いただけますれば幸甚です。
(本文から)県立第二高等女学校は松尾山の高台にあり、近くには知事官舎や那覇市長官舎など高級官僚の住宅が並び、松山国民学校と、姉が通っている県立病院もあった。・・・・・・・以下 略・・・・
しっかりと戸締まりをして家を出た。大通りに出ると荷物を持った人々が右往左往している。首里に向かう人たちもかなりいるとみえて、千恵子たちもその流れの中に入った。・・・・・・・以下 略・・・・
(本文から)あさと安里川が二つに分かれ、一つはとまり泊港に流れ、もう一つはくもじ久茂地川となって那覇港の方に流れている。久茂地川の右側に二高女のある松尾山があり、千恵子の家は久茂地川の左側にあった。ここから見ると爆撃されている港から千恵子の家の辺りはすぐ側に見えた。・・・・・・・以下 略・・・・
(本文から)松尾山からも煙が立ち昇っていた。二高女だか国民学校だか病院だかわからないが、どこかに爆弾が落ちたようだった。病院にいる姉は大丈夫なのか心配になった。千恵子の家のあるくもじ久茂地町は無事のようだが、港の近くのとんどう通堂町、西新町、西本町、東町、うえのくら上之蔵町、つじ辻町、そして、対岸のかきのはな垣花町辺りは燃えているようだった。それに、高射砲陣地のある城岳の辺りも煙を上げている。城岳の近くには二中があり、父のいる県庁も近くだった。・・・・・・・以下 略・・・
これらの描写には 懐かしいというより 悲しさと空しさを感じながら それでいて ふんわりとしたナツカシイ 暖かさを感じています
{{私は 松山国民学校を卒業 県立病院下にあった自宅から久茂地通りを抜け 県庁横のやや急な道を通り 城岳の近くの二中に通学していました。中学二年 昭和20年(1944)夏 疎開船に乗った(乗せられた)ものです。}}
自分のこれまでの経験というか記憶を重ねると この部分は きわめて感情移入してしまいました。
なお戦記の部分については 沖縄二中時代の同級生が 通信兵?軍属として戦死しており 数年前初めて訪ねた城岳の慰霊塔に刻まれている友人達の氏名をさすってきたところです。
沖縄戦の話を聞くたび 自分が疎開という逃亡、ヤマトゥンチュウ<内地の人=大和人=従来からの日本人>との結婚など と多くの方々から理解に苦しむぞ と言ってくださる意味での同級生などと距離をとっていたこと「心は向いても足は向かない・進まない」など屈折していました。
このチーコの青春日記は 失礼な推測をいたしますが、♪♪戦争を知らない〜団塊の世代の後期で群馬県の方なのでしょうか。きわめて 精緻に意欲的に書かれたことなどまた、ルポのようでありルポと違う 単なるフィクションでなく古い言いまわしと思われましょうが、ヒュ―マニズムあふれる個所の多さには、読み返えすたびに感動をあらたにしました。
御感想ありがとうございます - 庵主の酔雲
2009/10/29 (Thu) 19:40:16
こじょう じゅうじん様、丁寧な御感想ありがとうございます。
当時、県立病院の近くに住んでいらしたとは驚きました。地元の方にこんなにも感動していただけるなんて、本当に嬉しい限りです。
何とお礼を言ったらいいかわからない程、ありがたい気持ちです。
本当にありがとうございます。
まだネットが思うように使えず、返事が遅れてしまいました。申し訳ありません。
知るのが おそかった - こじょう じゅうじん
2009/10/11 (Sun) 01:52:41
十十空襲について 沖縄は今?と検索していたら
⇒65年前の沖縄を旅してみませんか⇒沖縄二高女看護隊 チーコの青春 に辿りついたのが 十月九日午後十時過ぎ 一気に読み終わったのが 今朝四時 あまりにも知らなさすぎたことに ショック 寝つかれず。仮眠 諸々の用件を済ませ 夕方から 酔雲さんって どんな方だろうとあれこれと調べまくって これは 敬意のメールをさし上げねばと 考えた次第です。
私は 七十八歳です。チーコさんよりは2年ほど下になりますが 自分達は戦時中どうだったか 老成し悟りきりったポーズで<青春とはエチュードである>などと受け売りの言葉で 若い人たちを煙にまいて自己満足で生きてきたことに 恥ずかしさを感じています。戦争のこと 生き方のこと 静かに考えて あらためてメールいたします。力作の ご公開ありがとうございました。
Re: 知るのが おそかった - 庵主の酔雲
2009/10/22 (Thu) 19:24:04
こじょう じゅうじん様、一気に読んでくださり、ありがとうございます。
ネットが使えなかったので、返事が遅れてしまい申し訳ありません。
チーコと同年輩の方が真剣に読んでくださるなんて、本当にうれしく思います。書いた甲斐がありました。ありがとうございます。
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2009/09/05 (Sat) 19:05:48
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こんにちは - ki350159
2009/05/25 (Mon) 13:51:40
ほんにちは、
チーコの青春、読ませてもらってます。
僕は札幌に住んでいる高校3年生です。僕はこの前アメリカに1年間留学してきました。そこでさまざまな経験をしたのを今でも覚えています。
実際、留学にいって日本のことをよく知らなかったと痛感しました。
何せ「日本のものか?」と聞かれたのに、「わからない」としか答えられなかったのです。そこで文化に興味を持った僕は帰国してからいろいろ本を読んだり、ネットで調べているうちにこのサイトを見つけました。
悲劇、というより惨劇ですか。僕みたいなのが言える立場ではないのですけれど、こんな惨劇が繰り返されないためにどうしたらいいのか本気で考えるきっかけになりました。
ありがとうございます。
Re: こんにちは - 庵主の酔雲
2009/05/25 (Mon) 20:55:05
ki350159様、「チーコの青春」を読んでいただき、ありがとうございます。
若い時に色々な経験をするのは大切な事です。
色々な事にチャレンジして、色々な事を考えてみて下さい。
謹賀新年 - 庵主の酔雲
2009/01/02 (Fri) 08:58:26
明けまして、おめでとうございます。
今年も「チーコの青春」をよろしくお願いいたします。
動画をリンクしました - 庵主の酔雲
2008/08/29 (Fri) 12:55:39
小説に登場する歌にYouTubeの動画をリンクしました。
彼女たちが歌っていた歌を聴けば、当時の状況がよりよく理解できると思いますので、ご利用下さい。
dororo77様、ご報告ありがとうございます - 庵主の酔雲
2008/06/17 (Tue) 00:54:41
私の小説がお役に立てて、本当に嬉しく思います。
ありがとうございました。
「チーコの青春」を読んでくれた生徒さんたちもありがとうございます。次に沖縄を訪れた時、あんな悲惨な時代があったという事を思い出して下さい。
二度と同じ過ちを繰り返さないために。
おひさしぶりです - dororo77
2008/06/16 (Mon) 23:15:23
チーコの青春を教材につかわせてもらったのに報告が遅れてすみませんでした。
小説全体だと長すぎるので、自分が思った様子や心情を伝えられると思った部分を段落ごとに、コピーしながら13ページほどにまとめたものを使わせてもらいました。まず担任に読んでもらったところ、その部分だけでも泣けてくるところがあったといっていました。生徒も食い入るように授業をしていました。
修学旅行は、突然マヤーガマが心無い見学者のための地主が怒り直前に閉鎖されました。とても残念なことでした。でもヌヌマチガマに行った生徒は、この小説を読んでいたため、白梅部隊の碑を感慨深げに見、ガイドの話を聞いていました(ひめゆりは有名なので、みんなわかるけど、この小説のおかげで白梅部隊、ヌヌマチガマ、を実感できたんじゃないかと思っています)。
この編集した教材は残してあるので、今年の生徒、来年の生徒も使ってくれると思います。少しでもその当時の人々のことがわかってくれればとおもいます。
*勝手に編集してしまったことを、お詫びします。ネット小説全編も、総合の時間にネットを使い、できるだけ読ませるようにしました。全部読む時間はなかったけど、生徒は、それなりにしっかり読んでいました。
掲示板を変更しました - 庵主の酔雲
2008/06/12 (Thu) 20:31:59
毎日のように変な書き込みがあるので、掲示板を引っ越ししました。
これからも、よろしくお願いします。